脳に埋め込んだチップが私たちの能力を高めることができるかもしれない、なんて言われても、そんなのSFの世界の話としか思えませんよね。
でも意外かもしれませんが、脳内チップは1970年代より視覚障害者やパーキンソン病の治療に適用されるなど、医療分野においては、とても長い歴史を持つ技術です。
実際、近年においても以下のような興味深い適用事例があります。
- 脳内チップが読み取った脳波により、ロボットアームが四肢麻痺患者の口へジュースを運ぶことに成功(米サイバーキネティック社/ブラウン大学)
- 脳内チップによる軽い電気ショックで過食制御を行い、肥満防止を実現(米スタンフォード大学)
- 脳内チップが、頭に思い浮かべた言葉を音声に変換(米カリフォルニア大学)
しかも、脳内チップは最近注目されている「BrainTech」(脳の活動を見える化し、脳の力の最大化を狙うテクノロジー)における主要技術でもあります。果たして、脳内にチップを入れる未来はどんなことができるようになるのでしょうか。
ということで、今回は脳内チップによりどのようなことが実現できるのか、その可能性について一緒に考えてみましょう。
それではまず最初に、脳内チップにより記憶を自由に取り出す可能性について確認します。
脳内チップにより記憶を自由に取り出すことができる、かもしれない…
例えば、私たちがラジオやテレビで聴いただけの音楽を覚えていたり、口ずさむことができるという経験はありますよね。実は私たちが音楽を聴いたとき、「よし、覚えるぞ!」と強く意識しなくても、聴いた音楽は脳内に「音楽ファイル」としてしっかりと記憶されています。
この脳内に記憶された音楽ファイルが、何らかの理由により脳内で再生されるため、まるでラジオやオーディオ装置などで再生されているように聴こえてしまう、という脳の病があるとのこと。
患者の症状例は以下のようなものです。
ある日の真夜中、かなり大きな音量の音楽で目が覚めます。
こんな時間に一体誰が?と思いながらも、きっと誰かがラジオをつけっぱなしにしているのでは、と考え家中のラジオ、テレビ、オーディオ類をチェックしますが、スイッチはすべてオフになっています。
その後も音楽は依然としてかなりの音量で聴こえていますが、しばらくすると、聴こえてくる曲の間にナレーション等が一切ないこと、また聴こえてくる音楽が全て自分が知っている曲ばかりであることに気がつきます。
驚いた患者は自分の耳の異常と考え、耳鼻科を受診しますが結果は異常なし。その後に紹介された精神科でも異常は見つからず、最後に神経科を紹介されます。
この神経科を紹介されるまでの間、患者にとって医師との会話は非常に困難なものでした。というのも、かなり大きな音量で繰り返し聴こえてくる音楽によって、医師の声がかき消されてしまうからなんです。
神経科での検査の結果、原因は脳卒中で発生した小さな血栓による脳内(右側頭葉)への刺激によるもの、と判明しました。その後、血栓が消滅するにつれて音楽は聴こえなくなりました。
自分で再生のタイミングや曲の選定はできないのは残念ですが(特定の曲が四六時中繰り返し再生されてしまうケースもあるようです)、脳内への刺激により音楽を聴いている状態が再現できるというのは、何とも不思議な現象ですよね。また、まるで耳で聴いているように感じてしまうほど鮮明な状態で音楽が記憶されている、というのも驚きです。
この驚異的な記憶力は、今回ご紹介した患者に見られる特別な能力ではないようです。実は、私たちが見たり聞いたりしたことは全て脳に記憶されている、という説があります。
つまり、私たちが経験したことは全て記憶されているけれども、残念ながら必要なときに記憶を検索し取り出すことができない、というのが残念ながら私たちの記憶力の現状のようです。
脳内チップで脳内の音楽ファイルの選定と再生処理をコントロールできるようになれば、iPodやWalkmanは不要になるかもしれませんね。
実は脳に電気的な刺激を与えることによって、本人が忘れてしまった過去の記憶を引き出す研究も既に行われています。なお、この電気的な刺激によって引き出された記憶は、私たちが一般的に思い出すことのできるレベルを遥かに超えた、極めて鮮明なイメージとして感じることができるのだとか。
例えば子供時代の思い出であれば、今まで思い出すことができなかった、当時の家の窓の外を通り過ぎる自動車の音や、近所の友人達の声も聞こえたり、さらには、当時の感情や気分までもが一緒に思い出されるなど、まさにタイムマシンで当時に戻ったような感覚に浸れることが実験で確認されています。
私たちは脳に記憶されたすべての記憶を、残念ながらうまく活用できていません。私たちの過去の経験が全て脳内に記憶されているのであれば、これは非常にもったいない話ですよね。
今後研究が進むことにより、脳内チップにより音楽だけでなく、私たちの脳の中に記憶されている膨大な記憶の中から、必要な記憶を自由に選定のうえ取り出すことができるようになるかもしれません。このため、脳内チップは私たちの記憶力を高めてくれる、極めて有効なツールとして、今後大きく注目される可能性があります。
ところで、脳内チップは記憶だけでなく、私たちに秘められた能力である「潜在能力」も引き出せるようになるかもしれません。
それでは次に、私たちの潜在能力について考えるにあたって参考になると思われる、サヴァン症候群患者の事例について確認してみましょう。
脳内チップが私たちの潜在能力を引き出す、かもしれない…)
サヴァン症候群患者は、映画「レインマン」においてダスティン・ホフマンが演じた人物のように、特定分野において突出した能力を示すことで知られています。
例えば、読んだ本の内容を一字一句まで完全に記憶できる、一度聴いただけの音楽を完璧に演奏できる、一度見ただけの景色を記憶して細部に至るまで描くことができる、指定された日付が何曜日なのか瞬時に分かる、といった、まさに天才的な能力を示します。
今回ご紹介するのは1966年頃に実際にあったお話です。
アメリカ合衆国のある州立病院において、神経科医オリヴァー・サックスはサヴァン症候群患者である双子の兄弟(当時26歳)について調査していました。
ある日、神経科医は部屋の片隅で兄弟が談笑しているのを見つけます。二人に気づかれないように近づいて会話内容を聞いてみると、片方が6桁の数字を言うと、もう片方が「う~ん、なるほど。いいねえ」と、まるでその数字をじっくりと味わっているような表情を見せます。そのうえで、しばらくすると別の6桁の数字を言い返す、といった数字のやり取りを行っていました。
彼らがしゃべった6桁の数字に、はたしてどういった意味があるのか、気になった神経科医はこっそりと6桁の数字をメモに残します。帰宅後に調査したところ、それらの数字はなんと、全て「素数」であることが判明します。(素数:1より大きい自然数で、正の約数が1と自分自身のみである数)
翌日、同じように部屋の片隅で兄弟が談笑しているのを見つけた神経科医は、素数表の本を持って兄弟に近づきます。昨日と同じように6桁の数字を言い合っている兄弟の会話に、神経科医は素数表の本で見つけた8桁の素数で参戦しようと考えたのです。
神経科医は兄弟の会話に8桁の素数で割り込みます。数字を聞いた兄弟は、直ちにそれが素数であることを理解します。兄弟は驚きの表情で神経科医を見つめ、しばらく微動だにしません。
長い沈黙の後、兄弟は神経科医に笑顔を見せます。神経科医はゲームへの参加を認められたのです。
早速、3名による8桁の素数ゲームが始まりました。神経科医は兄弟に気づかれないよう、こっそりと素数表の本を盗み見しながら対戦を続けます。その後、素数は8桁から9桁、10桁と桁数がどんどん増えてゆきますが、神経科医が持参した素数表の本に記載されているのは10桁までであったため、神経科医はゲーム途中で脱落することになります。
その後も素数の桁数は増え続け、1時間後にはなんと20桁にまで到達します。20桁の素数ともなると、コンピュータでも使わない限り見つけることはできません。
実はこの兄弟のIQは60程度で、簡単な足し算や引き算すらできません。掛け算や割り算にいたっては、その意味すら理解できていません。
この初歩的な計算処理能力すら持たない兄弟が、なぜ大きな素数を見つけることができたのか、そのメカニズムは現在でも分かっていません。
現在、仮説として考えられているのは「脳の暴走」によるものです。
多くのサヴァン症候群患者は脳の左側に損傷を持っています。脳の左側は言語処理に関連した領域とされており、このため、サヴァン症候群患者は自閉症やコミュニケーション障害を示すケースが非常に多いのです。
通常の脳では、左側と右側との間で能力的にバランスが保たれていますが、左側の損傷によりそのバランスが崩れてしまうと、右側が左側の能力を「補う」ように働きます。
この左側を「補う」過程において、右側の脳の特徴である、音楽や絵画や瞬間的な暗算能力が「暴走」することにより、サヴァン症候群患者の天才的な能力が生まれるのではないか、という仮説もあるとのこと。
つまり、通常私たちの脳にある、特定の能力が暴走しないように「抑制している機能」が失われてしまったことが原因と考えられているのです。
こういったことから、サヴァン症候群患者が示す突出した能力を、実は「私たち誰もが潜在能力として持っている」と主張する研究者もいます。
この仮説が正しいとすると、今後研究が進むことにより、脳内チップにより「ここぞ」というとき、私たちが持っている潜在能力を発揮することができるようになるかもしれません。
誰でも凄い能力を持っているのであれば、たまには使わせてほしいです。別に怪しい能力などではなく、もともと私たちに備わっている能力ですから。いろんなケースで助かると思うし、世の中の様々な課題解決にも貢献できそうですよね。
ということで、脳内の過去の記憶や潜在能力を引き出すことが大きく期待できる脳内チップですが、実は気をつけるべき点があります。
それでは次に、過去に実際に起きた事件をもとに、脳内チップの危険性について考えてみましょう。
脳内チップが私たちをコントロールしてしまう、かもしれない…
1966年8月1日の朝、アメリカ合衆国テキサス州に住むチャールズ・ホイットマンは自宅で母親と妻を殺害したうえで、テキサス大学タワーの最上階に移動、展望台より眼下の通行人に対しライフルによる無差別銃撃を開始します。3時間後、警官隊によりホイットマンが射殺されるまでに13名が死亡、33名が負傷するという極めて悲惨な事件が発生しました。
ここで、事件発生前日までさかのぼってみます。
ホイットマンは元海兵隊で、犯行当時はテキサス大学の大学院生、成績優秀でスポーツ万能で誰にでも愛想が良い、まさに模範的な好青年であったようです。
ところが1966年に入ると、発作的な暴力衝動や激しい頭痛に悩まされるようになります。ホットマンは自身の日記に、自分の心の動揺と日々戦っているがどうやら無駄なようだ、とも書いており、当時の友人も「常に自分の中の何かを抑えようとしている感じがした」とも述べています。
そのうち彼は「最愛の妻を殺害すべきである」と考えるようになってしまいます。そして事件前日、彼はタイプライターで遺書を残します。
遺書には、最近訳のわからない異常な考えが次々と襲ってくること、自分の生命保険で残ったお金あれば精神医療財団に寄付して欲しいこと、さらには自分の脳の変化について究明するために検視解剖してほしい、といったことが書かれていました。
事件後に行われた検視解剖の結果、彼の脳内には直径2cm程度の腫瘍が見つかり、扁桃体を呼ばれる領域を圧迫していたことが分かりました。
扁桃体は人間の感情制御、特に恐怖と攻撃性に関与している器官であり、神経科学者のデイヴィッド・イーグルマンは、この腫瘍が事件発生の原因であると指摘しています。
ホイットマンの遺書には、妻を殺すことに決めたこと、妻を心から愛していること、ただし妻を殺す理由を具体的に説明できない、といったことも書かれています。脳腫瘍の影響かもしれませんが、妻殺害を「正しいこと」「実行すべきこと」である、と考えるようになってしまうとは何とも恐ろしいことです。
私たちは無意識ながら、日々良き市民となるよう行動していますが、こういった事件を知ってしまうと「正しいこと」「正義」とは一体何なのか、考えさせられてしまいますよね。
脳は私たちの感情や思考、また日々の行動に対して中心的・指導的な役割を担っている極めて重要な器官です。過去の記憶や潜在能力を引き出すことが期待できる脳内チップも、実は使い方次第では、人間の悪意の増幅や、他人を制御する手段として活用されてしまう危険性もあるでしょう。
脳内チップの使用については、安全性はもちろん、私たち人間への影響(精神面・倫理面)について、充分すぎるほどの考慮が必要となります。
以上、今回は脳内チップによりどのようなことが実現できるのか、その可能性について一緒に考えてみました。
- 脳内チップにより記憶を自由に取り出すことができる、かもしれない…
実は私たちが見たり、聞いたりしたことは全て脳に記憶されている、という説があります。今後研究が進むことにより、脳内チップにより脳の中に記憶されている膨大な記憶の中から、必要な記憶を自由に選定のうえ取り出すことができるようになるかもしれません。 - 脳内チップが私たちの潜在能力を引き出す、かもしれない…
サヴァン症候群患者が示す突出した能力を、実は私たち誰もが潜在能力として持っている可能性があります。今後研究が進むことにより、脳内チップにより私たちが持っている潜在能力を発揮することができるようになるかもしれません。 - 脳内チップが私たちをコントロールしてしまう、かもしれない…
脳は私たちの日々の行動に対して中心的な役割を担っている極めて重要な器官です。脳内チップも使い方次第では、人間の悪意の増幅や、他人を制御する手段として活用されてしまう危険性もあるため、その活用にあたっては、安全性はもちろん私たちへの影響についても充分すぎるほどの考慮が必要となります。
映画「レインマン」のモデルであるキム・ピークは生涯に約9.000冊の本の内容を全て記憶したと言われています。また、今回ご紹介した双子の兄弟は日付を指定されると、その日の天気に始まり、当日世の中で発生した事件や、本人の身の上に起きた全ての出来事を詳細に説明することができたようです。
彼らの突出した記憶力を考えると、人間は一体どれだけの量を記憶できるのか、人間の記憶量にはたして限界はあるのか、ただただ驚くばかりです。
記憶力の場合、例えば過去の思い出したくない経験や出来事、あるいは苦痛(実際の痛み)などが、全て鮮やかな記憶として再現されてしまうのを避けるために、もしかすると永年の人類の知恵によって、現在の私たちの記憶力レベルに「敢えて」抑えられているかもしれません。
また、サヴァン症候群患者が示す突出した様々な能力も、何らかの理由により「敢えて」抑えられている可能性もあります。
しかしながら、これらの記憶力や突出した能力が私たち誰にでも潜在能力として備わっており、脳内チップによりその実力を発揮できるようになれば、私たちにはとって、素晴らしく、ワクワクする未来が期待できますよね。
今後、血管内の移動が可能な超極小サイズの脳内チップを、腕の血管から注入して利用できるようになる、といった予測もあります。
遠い将来、脳内チップが私たちの潜在能力の引き出しに成功することより、人類は新たなステージに進化できているかもしれません。今後の脳内チップ技術の進化に注目しましょう。